sunny side down

玉城裕規さんのファンです。ぐだぐだ観劇おぼえがき。

「ギンガ/カンパネルラ」(さよならジョバンニ)

先日は映画版の「不毛会議」の試写などがあり、映画を見せていただき、また出演者の皆様と握手し、お声をかけさせていただくありがたい機会をいただきました。

玉城さんとの握手では、いつも楽しく観させていただいている旨、また今後の舞台すべて見せていただく所存である旨などをお伝えさせて頂き、本当ですか、ありがとうございます、と微笑んでいただき、なんかもう感無量だったわけで、本当に今後も見守らせて頂けたらと思ったのでした。

3月も終わりに近づきますが、未だに心は銀河鉄道にあります。「さよならジョバンニ」について感想をまとめようとしたところ、ギンガくんリュウセイくん、それぞれに関する記述がやたらと長くなりましたので分けて書かせていただきたいと思います。

 

今回は「ギンガくん(カンパネルラ)」について。

玉城裕規さんが演じられた「ギンガ/カンパネルラ」。ギンガくんは、頭がよく、感性的で繊細な男の子。自分が産まれた時に母親が亡くなり、そのことを負い目に思い、自分が生きていることに疑問をもっています。そんな生い立ちに関するクラスメイトのからかいの言葉を聞き、それにそのまま感化されるような形で、校舎から転落して亡くなってしまいます。しかし彼は銀河鉄道の切符を持っており、自分をカンパネルラと呼ぶジョバンニに連れられて銀河鉄道に乗ると僅かに息を吹き返しました。

ギンガ君だったころの記憶を失ったまま、カンパネルラとしてジョバンニと旅をするなか、様々なことを経験し、学び、笑ったり怒ったり、悲しんだりするようすがとても愛おしかったです。好奇心、恐怖、悲しみ、様々な表情を繊細に演じ分ける玉城さん。「経験」し、「学ぶ」のは物語のなかでジョバンニの役割であるところが大きいと思うけれど、カンパネルラもまた、人間のことを学んでいると思いました。

「誰かが自分のために犠牲になるなんて耐えられない」というようなことを侍座で戦うお侍さん(林修司さん)に告げていました。ジョバンニがこの時自分をかばい倒れたことで引き出された言葉でしたが、ギンガくんを産んだお母さん、そして、ギンガくんを追って銀河鉄道に乗ったリュウセイくんもまた、自分の身を投げうちギンガくんを救おうとしている。「愛される」ということをまだよくわかっていない、不器用なカンパネルラ=ギンガくん。自分には守られる価値がないのだと叫んでいるようで、もどかしくて、やっぱりとても愛おしい子。

じぶんの記憶を取り戻し、カンパネルラの犠牲の上に生きていたことを知ったジョバンニ。彼を見つめ、何か忘れていることに気付くギンガくん。リュウセイくんから渡された林檎で「記憶」そしてジョバンニから「命」をもらい、再び、自分の世界で生きることになりました。いろいろな人に支えられ、愛されて、人はうまれ生きているのだという真実をあらためて知りました。

物語の序盤、ギンガくんにじゃれつくリュウセイくんの腕をそっと押しのけるシーンがありました。それは照れからの、特に意味のない動作であったかもしれない、けれど、終盤、自分の行いを悔やみ嘆くギンガくんはリュウセイくんに抱きしめられながら涙を流していたし、ふたりが星を見上げて歌うシーンでもその腕を素直に受け止め笑っていた。自分が生きている、だれかに愛されている、そのことを確かに知り、受け入れ、今までより一歩先へ進んだことの証ではないかと思いました。彼の旅は私にもたくさんのことを教えてくれた。どうか彼と、彼のまわりで生きる家族と友人が、幸せでありますように。

玉城さんのお芝居は、先ほども書いたとおりとても繊細で、やさしく、とてもはかなく切なかった。やわらかい笑顔も、戸惑いの表情も悲しみの涙も、初めて観る表情が多かったように思います。涙がまつげの上できらきら光っていたのが印象的でした。まさに星をみているようでした。

ギンガくんはすごく「普通の男の子」です。苦悩や悲しみを抱えながらも、日常を友人と微笑みあいながら暮らしています。そんな「普通の男の子」をとても自然に演じながら、また、その中に浮かび上がる悲しみせつなさ、すべての感情をそこに違和感なくのせることができるのは、とてもすてきだなと思いました。

また、ギンガくんに出逢えればと思います。