sunny side down

玉城裕規さんのファンです。ぐだぐだ観劇おぼえがき。

5/31 リザードマン 昼・夜

先日行ってきました!千秋楽でしたね、お疲れ様でした。

さてわたしはもう10年以上前の中学生時代から関智一さんにはものすごい憧れを抱いていたのでやっとヘロQさんの舞台を観ることができてそれがまた感無量なわけでしたが、今回の玉城さんもとても楽しく観させていただきました。

近未来の世界、難病を克服するためにバサラトカゲの遺伝子を組み込まれ不死身になってしまった孤独な青年、彼の治療のために実験台にされていたキメラのこどもたち。ひとりの博士の野心から崩壊した研究所から抜け出して、とある組織の人間である「マスター」(関智一さん)の庇護のもと、しあわせに暮らしていた彼らのもとに、崩壊した研究所から逃げてきた女性と研究員、そしてとあるゲームの挑戦状がやってきて、的なところから始まるお話。

玉城さんは成瀬博士(置鮎龍太郎さん/石田彰さん)に開発されたアンドロイド「JPシリーズ」の5号機、JP5の役でした。蚊の遺伝子情報を組み込まれた吸血人間で、咬まれるとただ死ぬだけでなく、対象に見境なく人を攻撃させてしまうこともできるようでした。美しさを重んじ、自らの美しさもとても強く信じている。黒いドレスのような衣裳も中性的でした。

好戦的で残酷なキャラクターではありましたが、自分の美しさを両脇に控える少女たち(5ガールズ)に称えさせて調子を取り戻したり、JP4(人見早苗さん)と仲間割れして罠にかけられたり、…など、コメディ描写も多く面白いキャラクターでした。

「汚い言葉で罵りたいのにぼくの美学がそれを許さない!」的な台詞が妙に印象に残っています。代わりに5ガールズが便所女だなんだと罵ってくれます。シンプルアンドジャストオッケ~~~!

男の子の顔はよく眺め「血がまずそうだ」や「かわいい!」という感想を漏らすこともありましたが、女の子には基本的に無関心な印象。「蚊のなかでも血を吸うのはメスだけ」ということを思うと、彼の心は男というより女に近かったのだろうかと思います。

美しいまま死んでゆくことが叶わず悲劇的な最期ではありましたが、JP5は本当に魅力的なキャラクターでした。出演時間は決して長くなかったと思いますが場面ごとのインパクトが強かったのでそんな気はあんまりしませんでした。

JPシリーズのキャラクターは皆アンドロイドでしたが、感情をプログラムされているせいか個々にそれぞれ個性があってとても面白いキャラクターたちでした。

善と悪には分かれてしまうかと思いますが、すべての登場人物に強い意志があり、また欲望もあり、ストーリーもとても丁寧に描かれていたと思います。成瀬博士の想いも歪んではいますがそれは確かに愛であっただろうし、彼にしてもキメラの子供たちにしても、生きる意志をつよく持って進んでいた姿が印象に残りました。

また、長沢美樹さんが演じられた「JP1」と葵のあふれる母性と愛情、強くたくましく優しい母親像は理想的でした。せつない終わりではありましたが、研究所の爆破シーンでは涙があふれました。

またとても素敵な作品に出逢えてしあわせです。登場人物の言葉、行動のひとつひとつが、わたしのDVDを楽しみに待っています。

そういえば金曜日の夜公演では玉城さんの小道具である赤い針が指から客席に飛んでしまうというハプニングがありました。きれいに最前列の客席間の通路に落ちたのですが、カーテンコールで関さんにそのことに触れられた際には、お怪我ありませんでしたか、すいませんでした、とお客さんを気遣っていらっしゃいました。

野中さんがカーテンコールの際それを拾いにぴょこんと客席に降りて、玉城さんに渡してあげていましたがこの画がとても可愛くてほっこりしました…藍ぽんはほんと何年経ってもかわいいなと思ってました。そして今回実はわたしがいちばん泣かされたのも野中さん演じるサツキちゃんと弟のナギくんでした。

ハプニングはないに越したことはないとは思いますが、舞台でしか起こらないこういう出来事もまたいいものではないかと少しだけ思ってしまったりしています。

ライチ☆とわたしの話

先日、ライチ☆光クラブの舞台DVDが届きました。わたしが直に玉城さんの舞台上のお芝居に触れたはじめての機会であり、それまで抱いていたぼんやりとした興味が強いものになり、なんて怖い人だと畏れのようなものを抱いた瞬間でもありました。

12月以降様々な舞台で玉城さんのお芝居を観て、だんだんライチの記憶が遠くなり、あれは幻だったのではないか、と思いはじめる頃になっていましたが、DVDが届き、観て、わたしが観たものは確かに現実だったんだなぁ!と思い、改めて感動しました。玉城さんのジャイボの、普段のあらゆる言葉の白々しさが妙に印象に残っていました。何を言っても実がなく、誰の胸にも届かずふわふわと宙を舞っている感じ。だからこそ、死に際の告白シーンの爆発力が凄まじくて、大好きです。あのシーンで語られた言葉は、ほんとうに、真実として胸に響き、心が苦しくなりました。本当に大好きなジャイボを玉城さんが演じてくれてよかったと思った瞬間でした。
ちなみに私が入ったのはクリスマスイブの2公演で、それは江本さんや玉城さんがtwitterや座談会で話していた「誕生日プレゼントのすり替え」が起こった2公演でした。あれ、台詞違うな!と観ながら思っていたのですが後で事実を知ってとっても得した気分でした(笑)

 

大学2年生の春休み、20歳の春でしたが、もう6年ほど前に、わたしはライチ☆光クラブという漫画に出逢いました。小説から漫画からあらゆるジャンルに通じた本の虫の友人がおり、彼女から面白い漫画を買ったから読んでみてほしいと言われ、彼女の家で読んだのが出会いです。

わたしはグロテスクな表現が得意ではなく、そういう作品にはあまり触れてこなかったのですが、ライチを読んだときは驚き圧倒され、恐怖は感じましたが、嫌悪感はありませんでした。あまりにも現実離れしていて、有り得ない!という世界だったからかもしれませんが、嫌悪するどころか読むほどに引き込まれ、自分でも手元に置きたくなって購入しました。今でもたいせつに持っています。

読了後、ジャイボが好きだ、と言ったら、ああやっぱり、と友人に言われました。わかりやすく女性的で美しい人に惹かれやすいです。

彼の行いはゆるされることではありませんが、ああ、かわいいなあ、と思います。決してその愛情が歪まぬところです。思考は歪んでいますが、ゼラに向ける愛情は揺らがないしまっすぐです。

彼はよくヤンデレなんて評されていますが、「ぼくのことを見てくれないきみなんて死んでしまえばいい」というところには決して至っていない、そんなところはこどもらしくてとても純粋だと思います。ゼラの心を奪うものは全部いらない、だから全部なくなればいい。そうすれば戻ってきてくれるだろう。きみを殺してぼくも死ぬ、そんな最後は決して望んでいなかったでしょう。もし彼の愛情そのものがそういう歪み方をしていたら、自分を愛してくれなくなった人を憎むだけで、その人を殺すだけでよかった。こんな惨劇は起きなかっただろうと思います。まっすぐで純粋な愛が凶器になってしまったのは悲しいことですね。

誰もいなくなった場所で、また愛し合いたいって思ってたんでしょう。愚かだけど、許されないけど、なんだかわたしにとってはそんなところが妙にかわいく思えます。

そしてぼくらのひかりクラブを読むと、ふたりは小学生のころから、何年も濃い秘密を共有してきたんだなぁと実感します。このころがいちばん幸せだっただろうなぁ、と思います。思春期の成長って苦しいですね。なんにも知らずに望まずに、目の前にあるものだけを手に取ってられれば楽だったのに。

舞台をひさしぶりに見て、漫画を読み返して、パンフレットを読み返して、なんだかぼんやりしています。そしてなんとなくライチやジャイボの話をしたくなりました。

カテゴリーに少し迷う話です。またライチについては書きたいことが出てくる気がします。とりあえずは公演DVDをまた見直さなくてはいけません。

「リュウセイ」(さよならジョバンニ)

アクセス解析などを見ますと、メサイアの感想を見に来てくださる方が多いようで驚いています。そしてうれしいです。そして、評議会の雑感しか書いていない現状がなんだか申し訳ないです。そのうち舞台全体の感想も、かきたい…

さて5月になりましたね。今月は月末にヘロQさんの舞台に行き、来月は極上文學の玉城さんご出演回すべてを観させて頂きます。
そしてメサイアイベントも2公演、狙っていた通りに行けそうで周囲のみなさんのご協力と強運に感謝しています…有り難い…

さて今回はもう2か月前のことになりますが(!)さよならジョバンニに関して。
ギンガくんについてはもう感想を書きましたが、リュウセイくんについてはまだだったな!ということで、そちらを。

リュウセイくんは、主人公ギンガくんの幼馴染みで「たったひとりの」親友。名前は「流星」と書くようです。中学までギンガくんと一緒に過ごしていましたが、高校はリュウセイくんが受験に失敗。ギンガくんが通っているのがミッション系の私立(共学)っぽいので、彼が進学したのは公立高校でしょうか。大学はまた同じところに進学しよう、と約束しているようでした。
勢いのいい性格で、裏表なくとても明るい。素直で優しく、まっすぐです。少し、いや、だいぶぶっ飛んだ感じで役をつくられたようで、静かなギンガくんとは対照的でした。
観劇後しばらくしてから、玉城さんと康平くんのステージライフのインタビュー動画を観ました。康平くんが語っていた内容ですごく面白かったのが「ギンガのことがほんとうに大好き」で、康平くん自身が、ずっとギンガくんと一緒にいるジョバンニに嫉妬のような感情を抱くこともあったということ。舞台上での彼は本当に、ギンガくんのことが大好きでした。満面の笑みで駆け寄り、いとおしそうにじゃれつく姿が愛くるしかったです。康平くんがこころの中まで確かにリュウセイになって生きていたからこその表情だったのかな、と思います。

さて、大好きな親友であるギンガくんが亡くなり、いちばん派手に取り乱していたのも彼でした。そして、僅かに息を吹き返したギンガくんに気付き、ギンガは死んでいない、銀河鉄道に乗ったんだ、それじゃあ「ぼくも乗ります!」ここまでの決断があまりにも早く、あまりにも迷いがなく、思わず呆れてしまうほどでした。迷い立ち止まり、苦悩するギンガくんとはやはり対照的で、迷うことも立ち止まることも、くよくよ悩むこともない。希望があるなら何でもしてみせる、ギンガが戻ってこれるなら。という気持ちのまっすぐさ、太陽のような明るさ、悲劇的な状況のなか前を向けること、その強さには憧れを感じます。

彼は車に突っ込んで「うまく死にかける」ことに成功します。銀河鉄道には乗れたものの、彼が乗ったのはギンガくんとは違う路線でした。どんな状況にも臆することなく、乗り合わせたパンダやオカピとも友情を築く、そんなところもほほえましいです。
ここで彼はさそりの星のお姫様に出逢います。彼女は男を誘うために対象の理想の姿を見せるのだということですが、ここでリュウセイくんが見た「理想の姿」は、一度写真で見た「ギンガくんのおかあさん」でした。ここに関してはどういうことかなーと未だに考えるのですが、写真の中で見たその女性が、つまりはリュウセイくんの理想の女性像になったのでしょうか。どちらにしろ、美しく可憐で、なおかつギンガくんを産み、守ってくれた人です。リュウセイくんにとっても大切な人には違いありません。
彼女、そしてさそりの女王様の懇願で、リュウセイくんは侵略者の監禁王子を倒して星を救うことになります。もちろん、彼女たちへの同情や、仲間を王子に監禁されていたパンダやオカピへの同情もあっただろうけれど、リュウセイくんを動かしているのは「サザンクロスに行って、ギンガを救う」という意思なのであるということを実感しました。「ギンガとはずっと一緒だったんだ、ずっと一緒にいたいんだ!」というひとことが、ずっと忘れられないでいます。

サザンクロスで出逢った記憶をなくしたギンガくんは、見知らぬ人間に対峙する眼をリュウセイくんに向けました。そして苦しむジョバンニを案じている。ギンガくんのことを強く想いながらここまでやってきたリュウセイくんは辛かっただろうと思います。しかしまっすぐにギンガくんを見守り、林檎を差し出す。思い出してくれた時は本当に嬉しそうで、見ているわたしも安堵しました。
リュウセイくんも、旅の中でまた、とても大きくなったと思います。自分の行いを悔いて、恥じて、涙を流すギンガくんを抱きしめてそっと支える。ずっとつらかったんだね、と、ギンガくんの痛みに寄り添う。やんちゃな少年だった彼は、ひとつ強さを身につけたのだろうと思います。失うことのつらさを知ったからこそ、支え、寄り添いたいと思うのでしょう。

千秋楽では玉城さんが、涙で詰まってソロパートを歌えなくなってしまう場面がありました。康平くんは笑顔で玉城さんに寄り添い、肩をぽんと叩いてすっとパートを引き継ぎました。ふたりの旅をずっと見守ってきたわたしにとっては、あまりにも素晴らしい物語の締めくくりのシーンであったと思います。強いところも弱いところも、支え合って乗り越えてゆけるのだ。涙と笑顔をならべて、寄り添い、抱きしめ合い、星を見上げるギンガくんとリュウセイくんの姿は、いまでも忘れられません。

リュウセイくんはわたしにとって最高のヒーローです。誰かのためにまっすぐに、希望をもって生きてゆける人。彼に出逢えてよかった。いつまでも憧れています。きっと、ギンガくんの心がまた弱くなってしまったときは、そばで太陽のように笑っているのでしょう。
ギンガくんとリュウセイくんとの出逢いは本当に宝物です。
そういえばDVDの発売がたしか来月ですね。それまでまた思い出を噛みしめて、そしてまた、ふたりの姿をたくさん見ることができるのが本当に楽しみです。

4/13 メサイア―銅ノ章― 昼・夜 (評議会感想) 

シアターサンモールにて、浜尾くんファンの友人と、「メサイア」を観劇しました。
そういえばジョバンニ以来のサンモールで、いまだにジョバンニの思い出が濃く残っているので、懐かしく、不思議な気持ちになりつつ、たのしく観させていただきました。
アクションに迫力があってほんとこれ怪我しないか心配だなあ!と思いながら それぞれのキャラクターの個性がアクションにも生きていました

原作の小説は既読です。2月頃から読み始めて舞台の1週間前に読み終えたので本当にのんびりでした…
なので原作の記憶もふわふわしているのですが
「世界規模の軍縮会議があり、表向きには軍縮はしているけれど、水面下ではスパイも暗躍して情報戦争が絶えない」というところをベースに
舞台版にはその軍縮の再調印に反発し、日本を変えようとする「評議会」というテロリスト集団が登場します。
「評議会」という組織名と、そこに属するキャラクターの配役・名前が明らかになったのみの状態で舞台直前まで焦らされていたので(笑)期待や楽しみも一入でした。

評議会の4人は、本当になんというか、ばらばらで危うい人たちでした。
劇中では「二流テロ集団」などと評されていましたが、それは「日本転覆を目的にしているが、おのおののポリシーは全く異なる」という点において言えるようです。
だからこそ内部での衝突も絶えないようで。
ストーリーの中でいちばん最初に姿を見せたのは山田くん演じる大場くんだったと思うのですが、彼はだれかから怯えたようすで逃げていて、
彼を追って姿を現したのが玉城さん演じる周さんでした。
酷薄な笑みで大場くんを殴る周さん、あれ、?と思いました。同じ組織の人間じゃねえの、って。
同じ組織の内部でもいろいろあって、みたいなことは聞いていましたが最初から思い切り分裂してるとは思わなくて驚きました。
そしてさらに興味がわきました。最初からこれってどうなの!面白い!

というわけでとりあえず評議会のみなさんについて所感やキャラクターについての覚え書き。

・桧賀山純也(演:池田純矢さん)
評議会のメンバー、表の顔は国際ジャーナリスト。ジャーナリストの顔を使ってサクラ内部にも接近する。
北方連合のスパイであり、軍縮の再調印をその立場からも阻止しようとしているようす。幹部の三栖さんとは対立関係にある。
わたしはゴーカイジャーが大好きだったので純矢さんの、生き生きと快活な姿がすごくいいなぁと思っていましたが
今回は落ち着いて、洞察力観察力に長けた、賢い、しかしとてもずるい、「大人」の役でした。
低く張りつめた声と堂々とした様子がほんとうにただただ格好良くてうっとりしました。
この人のたくらみというか目論見というか、そういうものはほんとうによく見えませんでした。
北の人間である(珀の兄とも顔見知りである)というところは明かされましたが、それにほんとうに従順なのかわからないし、
いくつもの顔を持っている桧賀山さんには、自分なりに隠し持っている信念やらがまだまだありそうだなぁと思います。

・三栖公俊(演:中村龍介さん)
評議会の幹部で、国際指名手配犯。今回主人公側の「サクラ」が言い渡される任務のひとつが彼の捕獲。
無口だけれど全身に怒気とたくましさ、つよい信念を常にまとっている人。
がっしりとした体躯に、全身からあふれる強さがすごく男らしくすてきでした。
桧賀山さんの策で捕えられ、ビルに仕掛けられた爆弾が作動しただ死を待つばかりだったときも、ただ静かにその運命を受け入れようとする姿はとにかく男気に満ちていました。
柊介と颯真の絆を目の当たりにし、立ち去るふたりに「気持ち悪ぃんだお前らは」と声を荒げるシーンがありますが
誰とも心からわかりあえず、ただ死を待つばかりの男の寂しさが滲んでいるようで すごく好きです
そしてこのシーンの直後に手錠の鍵もった周さんがひょいっと戻ってくるのでなんかもう胸いっぱいでした…
「おまえにとっておれは手駒なのか」と周さんに問いかけるシーンもなんだかさみしくてせつないです
誰かと心から分かり合いたい、って、そう思ったんじゃないのかなあって そんなことを考えていました

・周康哉(演:玉城裕規さん)
評議会のメンバーで、三栖さんの部下。父親は政治家で、そこから持ち出したお金が組織の資金源にもなってるようす。
三栖さんの指示で基本的には拷問担当、というか常に誰かを殴っていろいろ吐かせようとしている。「手癖が悪」く、相手の懐からいろんなものをすってくる。
常におどけて人を小馬鹿にしたような言動が目立つけれど(桧賀山さんには「ラリってんのか」と言われる)それはどうやら周囲を欺くためのお芝居。本当はとても頭が良くて、世界をよく見ていて、自分の意志もしっかり持っていそうな人です。
登場から人を殴り、いちいち殴った拳をやかましく痛がり、饒舌に謎の持論を展開する。クレイジーで面白い人でした。
基本的におどけた様子でいますが、時折きらりと目に強い光を宿す。ふわふわと何を考えているか分からない様子から、一瞬でスイッチが切り替わる瞬間がありました。とらえどころのなさが増し、とても深く、複雑な人になっていました。
一度は桧賀山さんの罠で、三栖さんに手錠をかけますが、桧賀山さんの隙をついて鍵を奪い、爆破寸前のビルに三栖さんを助けにきます。
「まだこの人は使えるから」という理由で三栖さんを生かすのですが、これを機にふたりの関係がどうなるかも個人的にはとても気になるところです。
周さんにとって三栖さんはずっと「手駒」なのか、それともちがう情が、友情と呼ぶには少しハードすぎるかもしれませんが、生まれることがあるのだろうかと。柊介と颯真の絆を目の当たりにした三栖さんにはもしかしたら、孤独であることの寂しさが沁みたのかもしれません。周さんはそれを支える存在になるのでしょうか。
最後の最後で本来の、とても怜悧な姿を明かした周さん。このまま終わってもらうのも困っちゃう!

・大場傑(演:山田諒さん)
評議会のメンバーで、この中ではおそらくいちばん下っ端にあたる。桧賀山さんの部下、というよりも腰巾着のような印象。
出番はそこまで多いわけではなく、でも、いちばん人間らしさを持った彼でした。
まず冒頭シーンで周さんにひたすら殴られ、桧賀山の居場所を吐けと迫られるけれども決して口を割りませんでした。
その後桧賀山さんに救われますが結局彼は桧賀山さんのことを何も知らず、利用されて結局口封じに爆殺されてしまいます。
この物語にはいろいろなコンビが出てきます。サクラ側のメサイア同士、そして評議会では三栖さんと周さん。
このふたりもコンビであったとは思いますが、ただそこに信頼関係というものは介在していなかったのではないかと思います。
おそらく桧賀山さんにとって大場くんは捨て駒であっただろうし、大場くんも、ただ強い者について自衛していただけである。というそういうような印象です。
強い信頼関係で結ばれたメサイア、信頼関係というところでは分からないけれど、お互いの力についてはしっかり認め合っていた三栖さんと周さん。
彼はふつうの人間だったんだろうと思います。ただなんとなく現状が気に入らず組織に来て、なんとなく強そうな人に同調してうまくやってきた。だけど意思やポリシーのない人間は、この状況では生きのびることなどできない。その象徴のような存在なのかな。
山田くんはそんな普通の男の子の、弱くて愚かなところもすごくリアルに演じていました。

評議会のみなさんについてはほんとうに色々(妄想も含めて)考えることが多く、また玉城さんのお芝居についてもまだまだ言いたいことがあるような気がするので、またまとめてみようと思います。

サクラ側のみんな含めて全体的な感想もかけたらと…!
狭いステージをふんだんに使って、迫力のある世界を見せていただきました。
個人的には好きなストーリーだったので、今後の展開が楽しみです。
映画は舞台の前日譚だそうで、また個々のキャラクター、そして今回はもうしっかりとした絆ができていた柊介と颯真の絆のはじまりなど、たくさんのことを知れるのがいまから楽しみです。

続編舞台を期待しつつ。

どんより (藪の中)

公演ごとに玉城さんにお手紙を書いています。

いつだったかな、1月か2月頃に、確かこんな内容のことを書いたと思います。

「現代劇も素敵ですが、大正や昭和初期の頃の少しレトロな時代の雰囲気もとても似合うと思う。その時代に書かれた作品が舞台等になることがあれば、玉城さんの姿と声で見てみたい」

的な。

丁度その頃、年末のライチの退廃的な風景のなかでエロティックに生きる少年やら、1月の不毛会議の戦時中にストイックにおのれを殺して生きる軍人さんやら、どこか暗くどんよりとした空気のなかでお姿を観る機会が続き、さらに1月末ころに発売されたグッカムにおいて「ドグラ・マグラ」のイメージカットを観、ああ、とても似合うなぁ!きれいだなぁ!と思いました。

大学では近現代の日本文学を勉強したり研究したりしていたのでもともと好きなので、家にある好きな小説の人物を玉城さんに置き換えて遊んでいました。

たとえば、わたしは江戸川乱歩の怪奇短編が好きなのですが、『人でなしの恋』という作品における旦那様あたりはわたしのなかでは完全に玉城さんです。

とびきり美しい方という設定ですが、その美しさを語る奥さんの言葉が、

「美しいといいます中にも、病身なせいもあったのでございましょう、どこやら陰気で、青白く、透き通る様な、…(略)」

とあり、ああこれは!と思いました。

この世のものではないくらいうつくしいけれど、どこか儚げで、陰気さもある。言い方はあんまりですが、どこか不健康さを纏ったこの感じが!すごくそれっぽいなと!

 

 

先日、6月に上演が決まっていた「極上文學」の追加キャストが発表され、そのなかに玉城さんのお名前もありました。

偶然なのですが発表の少し前に極上文學の公式サイトを見ており、ああ、まだ追加キャストさんがいるんだ、玉城さんが出るようなことがあればいいのに…と想像する、ということが本当にあったので驚きました。玉城さんが出演されなくても観たいなと思っていたので、これはもう本当にうれしいことでした。

文学が好きなのでとても気になっていた企画なのですがもろもろのタイミングが合わず、これまでに拝見したことはなかったので、今回それを観ることができる機会を与えていただいたよろこび、そして、わたしの大好きなどんよりと薄暗い、近現代日本文学の「朗読劇」に、玉城さんが出演されることのよろこびはとても大きいです!超うれしい!つらい!的な!

作品は芥川龍之介の『藪の中』。大学在学中、一度ですが読みました。読みながらなんども混乱し、困惑し、わけがわからなくなりました。わたしがいままで読んだなかでいちばん混乱したのは先程も登場した『ドグラ・マグラ』でしたが、あれよりも比較的題材がわかりやすいからこその混乱でした。「あるひとつについての事件の証言」という比較的普遍的なテーマであるのに、もうなんというか、ひどく困惑した記憶が強く残っています。

すてきな演者さまたちに幻惑されつつ、またあのどんよりとした嘘に戸惑いたいと思います。

そして「観てみたい」と思っていたものが、実現したよろこび!

今後もさまざまに夢を持って追いかけていきたいと思っています!笑

「ギンガ/カンパネルラ」(さよならジョバンニ)

先日は映画版の「不毛会議」の試写などがあり、映画を見せていただき、また出演者の皆様と握手し、お声をかけさせていただくありがたい機会をいただきました。

玉城さんとの握手では、いつも楽しく観させていただいている旨、また今後の舞台すべて見せていただく所存である旨などをお伝えさせて頂き、本当ですか、ありがとうございます、と微笑んでいただき、なんかもう感無量だったわけで、本当に今後も見守らせて頂けたらと思ったのでした。

3月も終わりに近づきますが、未だに心は銀河鉄道にあります。「さよならジョバンニ」について感想をまとめようとしたところ、ギンガくんリュウセイくん、それぞれに関する記述がやたらと長くなりましたので分けて書かせていただきたいと思います。

 

今回は「ギンガくん(カンパネルラ)」について。

玉城裕規さんが演じられた「ギンガ/カンパネルラ」。ギンガくんは、頭がよく、感性的で繊細な男の子。自分が産まれた時に母親が亡くなり、そのことを負い目に思い、自分が生きていることに疑問をもっています。そんな生い立ちに関するクラスメイトのからかいの言葉を聞き、それにそのまま感化されるような形で、校舎から転落して亡くなってしまいます。しかし彼は銀河鉄道の切符を持っており、自分をカンパネルラと呼ぶジョバンニに連れられて銀河鉄道に乗ると僅かに息を吹き返しました。

ギンガ君だったころの記憶を失ったまま、カンパネルラとしてジョバンニと旅をするなか、様々なことを経験し、学び、笑ったり怒ったり、悲しんだりするようすがとても愛おしかったです。好奇心、恐怖、悲しみ、様々な表情を繊細に演じ分ける玉城さん。「経験」し、「学ぶ」のは物語のなかでジョバンニの役割であるところが大きいと思うけれど、カンパネルラもまた、人間のことを学んでいると思いました。

「誰かが自分のために犠牲になるなんて耐えられない」というようなことを侍座で戦うお侍さん(林修司さん)に告げていました。ジョバンニがこの時自分をかばい倒れたことで引き出された言葉でしたが、ギンガくんを産んだお母さん、そして、ギンガくんを追って銀河鉄道に乗ったリュウセイくんもまた、自分の身を投げうちギンガくんを救おうとしている。「愛される」ということをまだよくわかっていない、不器用なカンパネルラ=ギンガくん。自分には守られる価値がないのだと叫んでいるようで、もどかしくて、やっぱりとても愛おしい子。

じぶんの記憶を取り戻し、カンパネルラの犠牲の上に生きていたことを知ったジョバンニ。彼を見つめ、何か忘れていることに気付くギンガくん。リュウセイくんから渡された林檎で「記憶」そしてジョバンニから「命」をもらい、再び、自分の世界で生きることになりました。いろいろな人に支えられ、愛されて、人はうまれ生きているのだという真実をあらためて知りました。

物語の序盤、ギンガくんにじゃれつくリュウセイくんの腕をそっと押しのけるシーンがありました。それは照れからの、特に意味のない動作であったかもしれない、けれど、終盤、自分の行いを悔やみ嘆くギンガくんはリュウセイくんに抱きしめられながら涙を流していたし、ふたりが星を見上げて歌うシーンでもその腕を素直に受け止め笑っていた。自分が生きている、だれかに愛されている、そのことを確かに知り、受け入れ、今までより一歩先へ進んだことの証ではないかと思いました。彼の旅は私にもたくさんのことを教えてくれた。どうか彼と、彼のまわりで生きる家族と友人が、幸せでありますように。

玉城さんのお芝居は、先ほども書いたとおりとても繊細で、やさしく、とてもはかなく切なかった。やわらかい笑顔も、戸惑いの表情も悲しみの涙も、初めて観る表情が多かったように思います。涙がまつげの上できらきら光っていたのが印象的でした。まさに星をみているようでした。

ギンガくんはすごく「普通の男の子」です。苦悩や悲しみを抱えながらも、日常を友人と微笑みあいながら暮らしています。そんな「普通の男の子」をとても自然に演じながら、また、その中に浮かび上がる悲しみせつなさ、すべての感情をそこに違和感なくのせることができるのは、とてもすてきだなと思いました。

また、ギンガくんに出逢えればと思います。